aftershock 「ん…!?」 いきなりの事に抵抗しようとするも、両手でルークを抱きかかえていては身動きもとれない。それに加えて、ジェイドも普段見せないような強固な力でピオニーを拘束していたので、少しばかりの足掻き程度ではその腕から抜け出す事は出来なかった。 ピオニーにとって、ジェイドの腕が居心地の悪い場所ではありえない。 ルークを抱き締めている手から、力が抜けそうになり、落とさないように意識を持っていかれる事以外はなんの問題も無い。 ただ、普段公私を分け、執務中はどんなにこちらが構えと言って軽くあしらう相手の今日に限った異変が気になったのだ。抱き締められているはずなのに、何故か縋り付かれているような感じが、胸に小さな疑念の思いを生む。 「ジェイド…。」 開放されてもすぐに動けず、相手の肩に頭を預けながら呼吸を整えていたピオニーが、その名を呼ぶ。 深い声が、ジェイドの耳に墜ちていく。 夢の中で、彼に奪われた自分の体温が、そこからゆっくりと戻っていく。クスリと笑う声が耳元を擽り、規則正しい鼓動が安堵を生んだ。 「ジェイド…これは…なんの口付けなんだ…?」 朝のご挨拶…とか? ピオニーはそう言いながら、身体を放しルークを下に降ろす。ぶうさぎは、窮屈だった腕の中からさっさと逃げ出し、ネフリーやサフィール達と安心したように身体を寄せ合う。 「さあ、何でしょうね。ご褒美の前払いだったらいかがなさいますか?」 「そりゃあ、仕事に戻るしかないだろうな?」 腕組みをしながらこちらを見ているジェイドに、ピオニーは肩を竦めて笑う。しかし、ふいに真剣な面差しに戻ると、ジェイドの唇にかすめるように口付けを落とした。 「俺は、いま『ここ』にいるぞ。」 そう告げると、ジェイドを部屋へ残したまま出ていく。直ぐに足が動かなかった。幸いにも、朝一番でこなさなければならない仕事も無く、ジェイドは少しばかりの時間、そこに留まる。 「…貴方には、隠しておけませんね。」 唇に指を当てて、ジェイドは溜息を付いた。先程深い口付けを交わした時には、色も変えなかった頬が染まっている。 気になることがあるのなら言えと彼は告げている。お前は変だと見抜かれている。 それでも、直ぐに問いただしたりしないのは、つき合いの長さと言うべきか…。素直に自分が応じないことを見越した上だ。 「すみません、陛下。ルークがいなくなってしまって、すぐ探しますから…って、ジェイドの旦那?」 再度開いた扉から、ガイとナタリアが姿を見せた。 「ルークだったら、素材の群に返しておきましたよ。」 ジェイドの言い草に、ガイはぶうさぎの群に視線を向けてから苦笑いをする。 「そんな言い方をしたら、陛下が激怒しますよ。」 「本当の事を言ったまでですがね。」 眼鏡を上げる仕草も、言葉も普段どおりのジェイドに戻っていることに気付き、ガイは、ああ、と納得する。 ジェイドの旦那の事は、やっぱり陛下にまかせておくのが一番なんだろうと。 深夜の執務室。 幾つかの報告書に目を通しながら、ジェイドは眉を寄せた。 どうもダアトの情勢が良くない。未だに預言派の残党が根深く残り、それ故にか穏健派は影を潜め、過激派とでも呼ぶべき輩が活動を活発化していた。 何人か高位の人間が犠牲にもなっている。おまけにその要求は法外だった。 しかし、このまま無視し続けるには犠牲が大きすぎる。その上、再び人々の不安を表面化しかねない。新しい世界はの基盤はまだ緩い。少しの衝撃が、致命傷になることもあり得るのだから。 しかし…。 「今更、預言など…。」 一体何の意味を持つというのだろう。歴史は大きく波を変えて流れ出しているというのに。既に滅亡していなければならないマルクトはキムラスカと手を携えて歴史を紡いでいる。死ぬ運命だった皇帝もまた自分の横で笑っていた。 「…っ…?。」 頭痛のように、あの夢が蘇る。 自分の腕の中で冷たくなる身体。開かない瞼。凝固した血液が綺麗な髪にこびりついていた。ふいに意識が遠のいて、ジェイドは額に手を置いたまま机に突っ伏した。 雪の舞う白い土地。何故自分は此処にいるのだろう。 やけに視界が狭いと感じて、目に手をやるとそこは窪んでいて、此処に目があったという痕跡だけが残っている。 そうだ…。あの時。 主を殺された時、もうそれは制御することなど出来はしなかったのだ。グランコクマを丸ごと飲み込むかと思われた衝撃から自分が逃げ出したのは、皇帝の首を敵国に晒すことだけは阻止したかったから。 彼の死体を誰の手も届かない場所へ永遠に葬り去る必要があったからだ。 そうして、自分はここに、ケテルブルグにいるのではないか。皇帝の身体を灰に変えて故郷の雪山に撒いた。 降り続く粉雪に混じって、彼が溶けていくのをだた一人見送った。 もう誰も彼にふれることは出来ない、そう、自分さえも…。 何もない…。自分の身体の中から、彼の形がごっそりと抜け落ちてしまったように。 『この世界に何の意味もない』 夢の中の自分の視線がふいに自分に向けられる。虚ろな瞳は、絶望と呼ぶにはあまりに凄惨な色を焼き付けていた。恐らく、これは狂気だ。 『全てなくなってしまえばいい。』 「…ド、ジェイド!」 大きく体を揺すられ、ジェイドは怠い体をそちらへ向けた。 薄い金髪が誰であるのか、ジェイドにはすぐにわかる。 「こんなところで、うたた寝をするからだ。酷く魘されていたぞ。」 顔面にうっとしいほどに掛かった髪をかき上げると、ピオニーが綺麗に描かれた眉を顰めて自分を見つめていた。けれど、笑い返す余裕が今のジェイドには無い。 たかだか、レム睡眠時に見た夢のはずなのに、身体の怠さは異常だ。 「…陛下、また抜け出されたのですか…?」 「当たり前の事を言うな。そんな事より、真っ青だぞ…。」 抜け出すのが当たり前とは如何にも彼らしい台詞に苦笑が漏れた時、ピオニーは両手でジェイドの頬を包んだ。蒼い瞳が揺れている。 「具合が悪いのなら寝ちまえよ。大事な仕事なんて、今のところ無いだろう。」 content/ next |